【※】寺院行事について
妙縁寺は日蓮大聖人の教えを正しく今に伝える日蓮正宗総本山大石寺の末寺で700年の歴史があります
妙縁寺は、第三祖日目上人の弟子、大夫阿闍梨日尊(たいふあじゃりにちぞん)師により正和元(1312)年に建立されました。常在寺、常泉寺とともに「江戸三ケ寺」と呼ばれ、東都において重要な役割を持った由緒ある寺院で、古来より朝廷とも深い関係をもつ公家寺としてもその名を知られています。
信仰は人生に必要です
一般に信仰とは、お年寄りが一種の精神修養や先祖を敬いつつ、なごやかな楽しみの場を持つために、お寺へ参詣し、時には団体旅行をすることくらいの認識しか持ち合わせていない人が多いようです。
あるいはまた困った時に、神仏の加護を求めて参詣し、手を合わせ、願をかけ、守り札などを大事にすることが、信仰だと思っている人もあります。しかし、正しい宗教を信仰する目的は、現在と未来にわたって苦しみを離れ、楽しみを得るためです。
そもそも仏の教えを端的に示す、基本的な語句に「一切皆苦」という言葉があります。世の中のすべてが苦痛・苦悩である、ということです。また法華経の『譬喩品』には、
「世の中には、心から安らぐ場所はない。まるで、火に取り囲まれているようなものである。多くの苦悩が充満していて、ほんとうは恐ろしいところである」
〔趣意 法華経一六八〕
と説かれています。
実際、今日の社会は、想像を絶する災害、悲惨な事件、原因のわからない病など、人々の胸中にはさまざまな不安と混乱が渦巻いています。 この中を生き抜いていくのは、誰にとっても容易なことではありません。 日蓮大聖人様の、
「すこし健の者も独りなれば悪しきみちにはたうれぬ」
〔三三蔵祈雨事八七三〕
とのお言葉どおり、少しくらい丈夫であっても、勇ましさがあっても、自分一人でどうにかなる、というものではありません。
とは言っても、何も心配はありません。南無妙法蓮華経の信仰で、必ず、すべてを乗り越えることができます。
根本的な部分からきちんと解決することができます。それは、大聖人様が、
「たとえ太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経を修行する者の祈りが叶わないことはない」
〔趣意 六三〇〕
「妙法蓮華経の功徳によって、毒を変じて薬となし、悪を変じて善とすることができる」
〔趣意 一四九二〕
とのご断言されているところです。
まただからこそ、大聖人様が、
「日蓮をつえ(杖)はしら(柱)ともたのみ給ふべし」
〔七二二弥源太殿御返事〕
とも仰せられているのです。
正しい信仰生活を送ることによって、私たちはあらゆる苦悩と真正面から取り組み、苦悩と闘うならば、その一つ一つを幸いな事柄へ、幸福な出来事へと転じていくことができます。
もちろん、そのためには南無妙法連華経の信心をする、またそれを貫いていく、このことがきわめて重要です。
【ぜひ法話会へ】
信仰を実践することによって様々な人生の困難や逆境を乗り越え、功徳あふれる生活を得た体験をした方が妙縁寺には大勢います。もし、お一人で悩んでいらっしゃる方がおりましたら、まず妙縁寺の法話会にご参加ください。
妙縁寺はどんなお寺?
有形文化財「夜隺井銘(やかくいめい)」の碑
妙縁寺の境内には、江戸時代に「本所の名水」と謳われた井戸「夜寉井」跡があります。人口が多く、水源が乏しかった江戸の人々に貴重な水を供給していました。関東大震災で水が出なくなってしまいましたが、人々に愛された井戸は、山門を入ったすぐ右手の石碑に名をとどめています。
墨田区の有形文化財に指定され、「すみだ文化財・地域資料データベース」でも紹介されています。
歴史上の人物とも縁が深い寺院
妙縁寺のご信徒であった薩摩藩老女の小野嶋(小ノ島)によって、薩摩藩主・島津斉彬公や第十三代将軍・徳川家定公正室・天璋院篤姫は大石寺に帰依し、深い信仰をつらぬかれました。境内には、小野嶋の墓があります。