節分会

 妙縁寺では、2月3日、午後7時から節分会を行ないます。
 節分の「節」とは、竹などの節(ふし)のことで、それが転じて、時間や季節などのつなぎ目、変わり目を表現するようになりました。ですから本来は、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を、みな「節分」と言うのです。このうち、立春の前日だけ、いつしか広く行事が行われるようになりました。

 節分には、たいてい「豆まき」をします。誰もが〈自分の所に、ぜひ福を呼び込みたい〉と考え、現在では神社仏閣から各家庭に至るまで、声を張り上げながら「福は内」「鬼は外」と豆まきを行なっています。その際、なかには「福は内」「鬼も内」と言って行なうところもあります。


 日蓮正宗では、「福は内」とだけ繰り返して豆まきをします。
 節分は災難を払い、福を招くための行事ですが、留意すべきは「法華経にもとづいて行なう」ということです。これをまちがえると、額に汗して祈ろうが、豆をまこうが、福徳がそなわることもなければ、願いが叶うこともありません。そのことを、日蓮大聖人様は、
「さまざまな祈り方があるが、肝要なのは、法華経の信心にもとづくことである。そうすれば、現在と未来とに願う事柄のすべてが満たされるであろう」〔趣意 道妙禅門御書1041〕
と仰せられています。

〔厄年〕
 節分会にあわせて、厄年のご祈念を願い出る方も多いようです。
 一般的に、男性は25・42・61歳、女性は19・33・37歳を厄年としています。また、それぞれの厄年を「本厄(ほんやく)」「大厄(たいやく)」と称し、さらにその前年を前厄(まえやく)、その翌年を厄(あとやく)などと言って、前後3年間を忌み嫌う人もいます。
 確かに昔は、厄年に当たる場合は結婚、妊娠等を避けたり、また「親の厄年に生まれた子は育たない」などと言い、産んだ子をいったん捨て、他人に拾ってもらうなどの行為もされていました。しかし現代では、人生の節目、また身体に変化が生ずる節目、と解釈されている場合がほとんどです。
 したがって「厄年」は、いたずらに忌み嫌うものではなく、むしろ正しい信仰にいっそう励み、大きな福徳をさらに積んで、日々を一段と溌剌(はつらつ)としたものとする「好機」、と捉えるべきです。
 どうしても気になる方は、ご信徒にかぎり、妙縁寺受付に申し出れば、住職・僧侶に祈念してもらうこともできます。


 日蓮大聖人様は、
「三十三の厄は転じて三十三の幸いとなる。これを『七難即滅(しちなんそくめつ)・七福即生(しちふくそくしょう)』というのである。年は若くなり、福(さいわい)は重なっていく」〔趣意 四条金吾殿女房御返事757〕
と仰せられ、
「厄年の、災難を払う祕法は法華経につきる。実に、頼もしい。だから大厄については、この日蓮に任せなさい」〔趣意 太田左衛門尉御返事1224〕
とも教えられています。