有形文化財「夜隺井銘(やかくいめい)」の碑

 

 妙縁寺の 境内 には、江戸時代に「本所の名水」と謳われた井戸「夜寉井」跡があります。


 人口が多く、水源が乏しかった江戸の人々に貴重な水を供給していました。関東大震災で水が出なくなってしまいましたが、人々に愛された井戸は、 山門 を入ったすぐ右手の石碑に名をとどめています。

 『御府内寺社備考』や『葛西志』にも記されていたのが、ここ 妙縁寺にあった夜窪井の井戸です。いつ掘られたのかはわかりませんが、人々から愛され、そのそばにこの石碑が建てられました。 

 宝暦二年(一七五二)、儒学者井上が中国の「詩経」の一節を引用しながら詩を作り、朗川滕貫が同十二年(一七六二) に建碑しました。彫られている銘文は以下のとおりです。

風雨如晦爰喪幼孫映々不寝

念彼九原嗟茲胎禽聲聞于野 

薄言求之寒泉之下治其今号 

清冽且深自詒伊戚實勞我心 

寶曆二季六月蘭臺井通凞撰

  碑文の大意は以下の通りです。
  「風雨で闇のような暗さの中、鶴は我が子を失い、気になって眠れずにあの世の子を思い浮かべている。
  この泉で鶴は囁くような声を聞いた。我が子の声とわずかな期待をして、冷たい泉のもとにいた。
  その泉は今に及び、清冽かつ深い寒泉のもとに私はたたずんでいる。
  鶴同様に私は憂いの気持ちをここに送り、確かに自分の心をいたわった。」

 井戸は安政大地震でふさがりましたが、第五十一世日英上人の時、安政六年(一八五九)に再度堀り抜きを行い、関東大震災まで使用されました。 

 飲料水に乏しく、水に苦労してきた本所地域において、名水の 痕跡を残す貴重な歴史資料といえるでしょう。

 尚、墨田区の有形文化財に指定され、「すみだ文化財・地域資料データベース」でも紹介されています。