今の自分、そして将来の自分、それを真剣に考え、本物の幸せを願う人は、仏法で説く原因と結果にもとづいて生活することです。因果の法にもとづいて行動するならば、必ず有意義で価値のある日々をおくることができ、根のある草木のごとく揺るぎがない人生となります。一方、単なる世間的常識や自身の狭い知識・わずかな体験による生活は、根のない草のように、どこへ流れていくか判らない結果となります。
このことからも、月の一番最初の日、 菩提寺 の御本尊様に、
「今月〇日の試験、何としても合格させてください」
「〇週間後の契約、完璧な準備ができますように」
などと祈る、この行為にはきわめて大きな意義と功徳があります。
つまり、自分自身が〈何としても〉〈絶対に〉との気持ちをいっそう堅固にすることができ、さらに「祈りとして叶わざるなし」との御本尊様の 功徳力 によって、すべてが正しい形で進んでいくからです。
試験で高い点数をとるためには、そのための勉強が欠かせません。仕事上の重要な成約に 、事前の下準備をしないで臨む人はいません。やはり、試験のために真剣な勉強に励むことです。契約のために周到な準備をすることです。また、それを貫くための〈何としても、高得点をとる〉〈必ず、成約する〉との気概、これはまさに必須です。そしてそのうえで、さらに因果が完璧に整った法そのものである御本尊様に祈る、これでこそ文字どおり「自分にできる、すべてを為し終えた」ということになります。
中国の天台大師も、
「衆生に此の機有って仏を感ずる…仏機を承けて而も応ず」〔御義口伝1728〕
と述べています。私たちに〈何としても〉〈ぜひ〉というひたむきな姿勢と、強い信心、それがあって初めて、御本尊様、大聖人様が必ず応じてくださる、ということです。
しかも、大聖人様が顕された御本尊様には、
「たとえ、太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経を修行する者の祈りのかなわないことは絶対にない」〔趣意 祈祷抄630〕
という絶大なお力がそなわっています。
ぜひ、例月の一日参を大事にしてください