妙縁寺について
沿革
妙縁寺はおよそ700年にわたって、日蓮大聖人の教えを正しく伝えてきた日蓮正宗総本山大石寺の末寺(地方寺院)です。
正和元(1312)年ごろ、第3祖日目上人のお弟子、大夫阿闍梨日尊師によって「妙因寺」として建立され、寛永6(1629)年に総本山大石寺の第十九世日舜上人が、「正栄山妙縁寺」と改称し、再興されました。
その後、下谷(現在は移転して池袋)常在寺、小梅(向島)の常泉寺とともに「江戸三ヶ寺」の一つとして、東都における布教の拡大や信徒のための行事執行など、重要な役割を担ってきました。
かつては大檀那として、日野大納言や備中松山藩主の板倉勝澄公らも名をつらねていたと言われています。
昭和62年6月10日に、鉄筋コンクリート4階建ての近代的寺院へと一新し、総本山大石寺第67世日顕上人をお迎えして新築落慶法要を奉修し、現在に至っています。
妙縁寺はどんなお寺?
有形文化財「夜隺井銘(やかくいめい)」の碑
妙縁寺の境内には、江戸時代に「本所の名水」と謳われた井戸「夜寉井」跡があります。人口が多く、水源が乏しかった江戸の人々に貴重な水を供給していました。関東大震災で水が出なくなってしまいましたが、人々に愛された井戸は、山門を入ったすぐ右手の石碑に名をとどめています。
墨田区の有形文化財に指定され、「すみだ文化財・地域資料データベース」でも紹介されています。
歴史上の人物とも縁が深い寺院
妙縁寺のご信徒であった薩摩藩老女の小野嶋(小ノ島)によって、薩摩藩主・島津斉彬公や第十三代将軍・徳川家定公正室・天璋院篤姫は大石寺に帰依し、深い信仰をつらぬかれました。境内には、小野嶋の墓があります。