妙縁寺では、3月17日午後7時と20日の御前10時に「春季彼岸会(しゅんき・ひがんえ)」を
9月19日午後7時と22日の午前10時から「秋季彼岸会(しゅうき・ひがんえ)」を執り行います。
ある経典には「親に孝養を尽くすのは、すべての善い行ないのもととなる行為であり、父母が生きている間は孝養を第一とし、長生きするように身体(からだ)を養い、心を育(はぐく)んであげることです。亡くなったあとは、追って孝養を修すべきである」〔報恩経〕とあります。
そもそも、子が胎内(たいない)にいる間の、母親の辛さは言葉には尽くしがたいものがあります。しかも、お産が近づけば、腰が破れそうになり、あまりの激痛に息が止まりそうになるのです。やっと子が生まれても、子自身では何もできず、ただ泣いて、叫んで、親に助けを求めるばかりです。足はあっても立てず、手はあってもつかめず、目があっても見分けられず、耳があっても聞き分けられず。鼻があってもかぎ分けられない、まるで形だけのようなものです。それを親は、きめ細かに面倒をみ、丁寧(ていねい)に物事を教え、一人前の社会人に育て上げるのです。
ところが、その親が老(お)いると、子供から疎(うと)んじられ、蔑(ないがし)ろにされがちです。特に、自分が亡くなってからの供養もしてもらえないという、寂(さび)しさ、辛(つら)さは例えようもないものです。そのことを、日蓮大聖人様は、
「父母が地獄・餓鬼・畜生などに堕(お)ちて、苦しんでいるにもかかわらず、まったく供養をしないで、自分たちだけ着たい物を着、食べたいものを食べ、日常の楽しみに耽(ふけ)っている子に対して、亡き父母はどれほど羨(うらや)んだり、恨(うら)だりしていることであろう」 〔趣意 四条金吾殿御返事四七〇〕
と仰せられています。
ともあれ、先祖も、亡くなった父母や兄弟姉妹も、親戚も、大聖人様の妙法にもとづき、真心込めて、そして真剣に、追善供養することが大切です。大聖人様は、
「法華経を読み、南無妙法蓮華経と唱えて追善供養をする時、題目の光が無間地獄に至り、そこにいる者もまちがいなく成仏することができる。たとえ地獄に堕(お)ちて苦しんでいたとしても、孝養の者が正しい仏法によって追善供養(ついぜんくよう)をするならば、やはり妙法の力によって成仏できるのであり、そのことに変わりはない」〔趣意 御義口伝一七二四〕
と仰せです。
大聖人様の妙法にもとづく供養こそ、亡くなった父母や先祖を成仏させ、みずからも孝養などの 功徳 を存分に受けて一家の絶対的な幸せを築くことにつながるのです。決して、亡くなった父母などから、羨(うらや)ましがられたり、恨(うら)まれたりしてはなりません。
やはり私たちは、お彼岸やお盆、命日など、折々に必ず、唯一の正法、南無妙法蓮華経による追善供養 を心がけましょう