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∎ 宗祖日蓮大聖人 御聖誕800年

 いよいよ、目前ッ!!
宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節

 

今、南無妙法蓮華経を信仰できるということ、これは本当に尊(とうと)いわが身の果報です。本当にありがたいことです。法華経には、次のような4点が説かれています。

  1. 仏が、この世に出現されるのはむずかしい。遠い、はるかな時間の流れのなかでいえば、ほんのわずかな時である。
  2. たとえ仏が世に出現されたとしても、法華経を説かれるということがむずかしい。仏であればいつでも説かれている、ということではない。
  3. 仏が法華経を説かれても、人間として生まれること自体がまれであるから、仏が説法される時に生まれあわせて、ご法門を聞くことはむずかしい。
  4. 仏が出現され、法華経を説かれ、それを人間として聞くことができても、人間がきちんと修行し、確実に功徳を得ていく、これなどまさに難事中の難事である。

〔趣意 法華経125〕

と仰せられています。

 つまり私たちは、生まれがたい人間に生まれ、値いがたい久遠御本仏の仏法にめぐり値い、そのうえ百年に一度という宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節をほどなく迎えることができる、ということです。まさに「稀(まれ)な上にも、稀なこと」です。

 このことを、私たちが心から感謝しつつ、「法華講員八十万人体勢構築」の御命題達成に向け、自分のできることに挑戦をするところに、想像を絶する偉大な意義と功徳がそなわります。  もとより、勤行・唱題という自分の修行に励みつつ、同時に、周囲の人の幸せを願って仏道に導いていくならば、まさに計り知れない福徳がわが身にそなわることはまちがいありません。そのことを、日蓮大聖人様は、このように説かれています。

「日蓮の弟子、信徒となる。この功徳の大きさは、仏の智慧をもっても量(はか)ることはできない。それは、法華経に『仏が智慧を用いて功徳の多い、少ないを、数え、量ろうとしても、功徳の際、果て、これを見ることができない』と説かれているとおりである」

〔趣意 諸法実相抄六六六〕

何とも、ありがたいことです。

まして、仏道修行は、「時」ということをもっとも重要視します。来たる「大佳節」には、晴れて御本尊様のご照覧(しょうらん)を仰ぐことができるように、共ども、今まで以上に精進をいたしましょう。